文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:山岡 耕春 / 名古屋大学大学院環境学研究科地震火山研究センター教授)
久しぶりに『日本沈没』の原作を読み返した。心なしか心拍数が早くなり、どんどん本に引き込まれていくのを感じる。二〇一一年の東日本大震災のゆれを東京出張中に体験し、テレビの映像に目が
『日本沈没』は二十世紀を代表するSF作家
その『日本沈没』も、発表からすでに五〇年近く経過し、小説を屋台骨として支える科学技術や地球科学の知見が大きく進歩した。もはや小説の中の科学の記述が陳腐化しているのではと思われる読者がいるかもしれない。そこで、小説中で扱われる科学技術や、地震や火山に関する知見の、その後の進歩や発展を検証してみたい。
『日本沈没』の兆候は、東京駅の建物にできた
日本列島の地殻変動は、陸上については国土地理院のGEONETと名付けられたネットワークが一九九〇年代から運用されている。現在全国の約一三〇〇箇所に電子基準点としてGNSSが設置され、地盤が数ミリ移動しても即座に
『日本沈没』のメカニズムの本質はマントル対流である。小説では、まず地球を卵に
当時地球科学の世界で確立しつつあったプレートテクトニクスは、一九一二年にウェゲナーが提唱したものの忘れ去られていた大陸移動説を科学の表舞台に引っ張り出した。主役は海底の調査で明らかになった地磁気の
マントル対流のパターンを明らかにしたのは地震波を用いたトモグラフィーである。世界中で発生する多くの地震を、世界中のこれまた多くの地震計で観測したデータを用い、地震波が地球の内部を伝わる速度の分布を推定し、マントルが上昇する場所と下降する場所を明らかにした。その結果、日本列島のような海溝沿いではやはりマントルが下降していることがわかった。その一方、マントルが上昇する場所は海嶺とは無関係であり、南太平洋などで上昇していることが明らかになったのである。これはプレートの動きが主に海溝でのマントル下降流で駆動されていることも表している。
日本列島のような島弧と呼ばれる地形の成因もプレートテクトニクスの考え方によって次第に整理されてきた。プレートが海溝から地球内部に沈み込むとき、プレートに載っていた
いまや確立したプレートテクトニクスであるが、小説当時はプレートの動きを直接測定する技術が無かった。海底の地磁気の縞模様、海底の地形、島弧における地震発生など間接的で地味な証拠の積み重ねによって、プレートテクトニクスは揺るぎない真実になっていったが、プレートの運動を直接測定できるようになるには、VLBIやGPSの技術開発を待つ必要があった。VLBI(超長基線電波干渉計)とは地球から数十億光年の距離にあるクエーサーとよばれる星からの電波を、地球上の複数のアンテナで受信し、相互の信号波形を比較して得た時間差の変化からアンテナ間の距離変化を知る方法である。VLBIによってプレートの動きが測定できるようになったのは一九八〇年代になってからである。そのVLBIもすぐにGPSに取って代わられた。GPS(全地球測位システム)はアメリカが運用を始めた人工衛星網による測位システムである。人工衛星から原子時計に同期した信号を地表に向けて放射し、地表で受信した場所の位置を正確に知ることができる。一九九〇年代には、GPSによってプレートに載った火山島が陸地に向かって動いてくる様子もわかるようになった。
地震のマグニチュードに関する理解も小説が書かれた当時よりも大きく進んだ。小説では、「これまでは、M(マグニチュード)八・六以上の地震は起こらなかったかもしれん」と田所博士が語っている。しかし、実は、小説が発表される前の一九六〇年に発生したチリ地震はM九・五であったことが今ではわかっている。それは、モーメントマグニチュードという概念がその後の研究で確立したからである。モーメントマグニチュードは、地震によってずれ動く断層の面積と断層のずれ動きの大きさのかけ算から計算するマグニチュードである。チリ地震は海溝に沿って長さ一〇〇〇㎞、幅二〇〇㎞が断層となった。ずれ動いた大きさも一〇~一五m程度と推定されている。このくらい断層が巨大になるとずれが始まってから終わるまでかなり時間がかかる。チリ地震では約二〇〇秒と推定されている。小説の当時、地震のマグニチュードは周期約二〇秒の表面波という種類の波を使って計算されていた。そのため二〇〇秒もかかって発生するような超巨大地震の全体像を捉えることができなかったのである。今では、数百秒もの長周期の震動を計測できる高性能の地震計が開発され、迅速にモーメントマグニチュードが計算できるようになった。
『日本沈没』執筆以降の科学技術の進歩は著しいが、それでも災害時の描写はその後の地震災害を見通していたかのようである。地震時の詳細で迫真の描写はすごい。例えば、「第二次関東大地震」発生時「卓上電子計算機が、コードを後にひきながら、飛んできて、山崎のすぐ横の壁にガシャッとぶつかった」ことは、後の
地震の専門家として苦笑せざるを得ない表現もあった。日本がどんどん沈没していく様子が世界中に報道され、注目を集める中で「とりわけはげしい、気も転倒せんばかりの興奮の渦にまきこまれていたのが、世界中の地質学者、地球物理学者たちだったことはいうまでもない」ことである。地震発生や火山噴火は、地震や火山活動の研究者にとって新たな知見を得るための「『千載一遇』の大異変」(小説中の表現)である。不謹慎かもしれないが、専門家が興奮して研究を進めることで地震や火山などの災害の科学が進歩し、対策が進むのである。科学技術の進歩にもかかわらず自然災害と人間の本質は変わらない。『日本沈没』が五〇年もの長きにわたって人々を引きつけ続ける理由であろう。
二〇二〇年三月
▼小松左京『日本沈没』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000653/ ※上巻
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